留学便り 原 章彦

カリフォルニア大学サンフランシスコ校( UCSF )胎児治療センターに留学して

私は 2001 年 10 月より 2003 年 9 月までの 2 年間、 UCSF の胎児治療センターへ留学する機会をいただきました。そこで、小児外科の皆様に、胎児治療の現況やサンフランシスコでの留学生活について紹介させていただきます。

私の留学の目的は、胎児治療の現況を見学してくることと、胎児治療に関する基礎的な実験をすることでした。留学時すでに 38 歳であり、語学も堪能な方ではなく、不安でいっぱいでした。しかし、アメリカというものに一種の憧れをもっており、また昔から留学には興味があったので、期待を胸に勇気を出してアメリカへ向かいました。 September 11 の影響を受けたため予定より出発は若干遅れましたが、 10 月下旬に無事アメリカ合衆国へ入国することが出来ました。サンフランシスコは、ゴールデンゲートブリッジやケーブルカーで有名なカリフォルニアの中でも有名な観光地の一つです。日光がさんさんと降り注ぎ、青い海では若者がサーフィンをしているというカリフォルニアをイメージしていましたが、実際にはサンフランシスコは南北に長いカリフォルニア州の北部に位置しているため、 1 年中涼しく、また霧も多いため、長袖のシャツのみで衣替えもしなくてよい気候でした。そして何よりもイメージとかけ離れていたのは、アメリカといいながら、白人よりも東洋人が多いことでした。街の中では、中国語かと思うような英語も飛び交っていました。また、中国人に中国語で道を聞かれることもしばしばありました。それでも、公用語は当然英語であり、留学当初は電話をつなぐことや、銀行口座を開くのにも一苦労でした。また何をするにも Social Security Number が必要であり、まずそれを取得するのにも苦労しました。 1 ヶ月程かかりましたが何とか生活をセットアップし、 UCSF での留学生活が始まりました。
UCSF は、皆さんご存知のとおり、胎児治療の発祥の地であります。胎児治療センターは、 UCSF 医療センターの研究棟の最上階にあり、晴れた日にはエレベーターの踊り場の窓からゴールデンゲートブリッジを見ることが出来ます。この胎児治療センターでは、胎児治療の開祖である Harrison 教授を筆頭に4人の小児外科医と、外科レジデント 2 - 3 人で小児外科の臨床を行っています。研究部門には、リサーチフェローが 4 - 5 人在籍しており、それぞれ独自の計画で実験をしています。私は、このリサーチフェローの一員として胎児治療センターに所属しました。留学した当初は、私のほかに、台湾からのフェロー1名、およびアメリカのレジデント 3 名の計 5 名でリサーチフェローを構成していました。このリサーチフェローの仕事は、臨床研究として、胎児治療を行った症例のデータを集積解析して学会発表をしたり論文にしたりすることです。基礎実験に関しては、自分で実験計画を立て小児外科のスタッフと相談しながら実験を進めていきます。また、実際の胎児手術の時には、リサーチフェローが、術中写真やビデオを撮影し、かつ子宮循環装置を操作します。私も、アメリカ人のリサーチフェローが手薄のときに、1回だけ子宮循環装置を操作させてもらいました。リサーチフェローの仕事とは、要するに胎児治療に関する仕事すべてということになります。
アメリカでの生活は、日々がゆったりと進んでいくため、うっかりすると何もしないまま日々が過ぎてしまう危険もありました。西海岸だったせいか、皆そんなにあくせく働いている印象はなく、金曜の昼過ぎにはみな、 ”Have a nice weekend!” などと挨拶をし、家路へと急いでいました。しかし、毎週水曜日の午前中に胎児治療センターで開いているリサーチカンファレンスがあり、そこで2ヶ月に1回くらいのペースで自分の研究経過を発表しなければならず、無言のプレッシャーとなっていました。そのカンファレンスでは、リサーチフェローが順番に、パワーポイントで作製したスライドを用いて、コンピューターで発表します。当然ながら、皆、原稿は読まずに発表を行います。発表の上手なアメリカ人の中で発表するだけでも非常にストレスな上に英語ということで、1回目の発表の前は、日本で初めて学会発表した時以上の緊張感を感じました。その発表のときには、 1 時間の発表内容を、スライドと連動して発表できるように、 1 週間かけて丸暗記しました。これは、 38 歳の記 名 銘 力の低下した脳にはかなりの負荷となりました。しかし、発表も 2 回 3 回と重ねていくと、フレーズのパターンも覚え、徐々に慣れていきました。ハリソンをはじめとする小児外科のスタッフも冗談好きな明るい人々ばかりで、和気藹々とカンファレンスは進んでいきます。また意見も活発に出て、より高度な実験内容へと誘導されていきます。そのため、慣れてくると発表のストレスは軽くなっていき、質問に 100% 答えなければいけないという発想から、何かいいアドバイスをもらいたいという発想で発表をするようになりました。このような自由な雰囲気の中でこそ、ユニークな胎児治療というものが発展したのだなと痛感しました。
実際の胎児治療の臨床に関してですが、胎児治療を専任としているのは1人の看護コーディネーターで、彼女が胎児疾患の紹介などの情報収集を一手に引き受け、毎週火曜日の午後に行われる胎児治療カンファレンスに提示します。このカンファレンスでは、 UCSF の有名な産科、小児外科、新生児科、放射線科の医師や、看護スタッフなどが多数参加して胎児の診断や治療方針についての活発な討論が行われます。このカンファレンスは非常に解放的であり、国内や海外からの見学者もこのカンファレンスに参加し、積極的に発言していました。胎児手術の現況ですが、現在対象となっている疾患は、横隔膜ヘルニア、脊髄髄膜瘤、肺腫瘍( CCAM )、仙尾部奇形腫、閉塞性尿路疾患、双胎間輸血症候群、気道確保が困難な頚部腫瘍などが挙げられます。私が留学していたときは、実際に胎児治療を必要とする症例は減ってきており、月に1例程度でした。脊髄髄膜瘤は、子宮を小児外科医が切開した後は、脳神経外科医がマイクロを使用して髄膜瘤の修復を行います。また、双胎間輸血症候群は、胎盤血管のレーザー凝固により交通血管を遮断する方法ですが、小児外科医か周産期医が実際には施行していました。実際の症例は、脊髄髄膜瘤や双胎間輸血症候群が多く、2年間の留学で見学できた真の小児外科疾患は、横隔膜ヘルニアの2例、CCAMの2例のみでした。胎児期に気管閉塞を行った横隔膜ヘルニアの症例を娩出する際に用いられる EXIT という手技(胎盤循環を維持しながら胎児の気道を確保した後に臍帯を結紮するという娩出方法)は、出生時の気道確保が困難な頚部腫瘍や喉頭閉鎖症といった疾患にも応用され良好な成績が報告されています。私の留学中にも、先天性喉頭閉鎖に対して EXIT を用いて気管切開を行い良好な結果が得られました。これらの疾患を実際に見学し、改めて胎児手術を実施するにあたっては、多くの科の医師のみならず、コーディネーターが連携し一体となって、手術手技はもちろん、胎児診断の精度をあげ、技術的なこと、倫理的な問題を克服していく必要があることを痛感いたしました。
基礎実験のほうは、実験費の関係上、私は新生児科の Kitterman 教授の下で胎児の肺の発達に関する研究を行いました。実験は、 UCSF 医療センターからシャトルバスで15分くらい走ったところにあるローレルハイツ校の研究室で行いました。実験内容は、胎児の気管結紮モデルを用いて、胎児肺の VEGF の発現の変化と肺の成熟との関係について検討しました。もともと、臨床ばかりやっていたため実験の基礎テクニックがなく、また日本語の教科書も手に入らず、最初は苦労しました。しかし急患に呼ばれることも無く、実験に集中してマイペースで仕事をすることが出来るので気分的には楽でした。ただし、実験は仮説どおりの結果にならず、また実験過程のどこか1ヵ所でも狂いが生じたら結果が出ず、何度も悔しい思いをしました。幸い、スタッフには恵まれ、毎週、 Kitterman 教授と、同じチームであるテクニシャンの Cheri や Bob と実験結果や実験内容について細かく検討反省していき、何とか実験結果を出すことができました。この Kitterman 教授、 Cheri 、 Bob には公私共々大変お世話になりました。特に、 Kitterman 教授には、2回にわたってヨットに乗せてもらったり、 Thanksgiving には家族揃って家に招待をしていただいて七面鳥をご馳走していただいたりと、多くの良き思い出も作らせていただきました。非常に感謝しております。
Harrison 教授や Kitterman 教授を中心とした、胎児治療に関わる人々を見て、痛切に感じたのは、とにかく胎児を含めた患者様を何とか治療するのだという強い熱意です。治療に対して妥協や個人的なエゴもなく、真剣に良い治療方法を模索していく姿勢には、心打たれるものがありました。また、超のつく一流の人々は、治療に対する姿勢が真摯であるだけでなく、普段の生活でも他人に細かい心配りをしていました。このような人々を目の前で見られたことは、自分がこれから医師という職業をしながら生きていく上で、非常に貴重な経験となりました。この経験をしただけでも、留学した甲斐があったと思っております。
以上、とりとめもなく、留学記を書いてしまいましたが、今後留学を目指しておられる方々に少しでも参考になれば幸いです。留学は、新しい分化を吸収することが出来、自分の人生経験が豊富になる利点がある反面、すべて自分の実力頼りであり、結果がでなければ相手にされず孤独を感じる厳しい面もあります。現在、こうして留学を振り返ってみると、日本から少し離れて日本のいい面や悪い面を客観的に判断できるようになり、自分にとって非常に有意義なものだったと思います。もし留学の機会があるのなら積極的に留学するのをお勧めします。
留学の際に、いろいろお世話になった方々に、非常に感謝しております。この場を、お借りしてお礼を申し上げます。

原 章彦

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