吉丸 耕一朗

日本小児外科学会 国際協力への扉

 

吉丸 耕一朗(日本小児外科学会会員 九州大学病院小児外科)

 

日本小児外科学会会員の皆様、こんにちは。私は、九州大学病院小児外科の吉丸耕一朗と申します。2014年4月で医師9年目になります。この度、国際協力の広場にて黒埼先生、岡松先生と並んで文章が掲載されることに甚だ恐縮の次第でございますが、大変貴重な機会を与えて頂きましたことに深謝し、この文章を書く決意を致しました。

初期臨床研修医を終え、後期研修医として2年間、救急診療・麻酔科・小児科を専攻しました。その後、医師5年目より小児外科のトレーニングを開始しました。目まぐるしく過ぎる毎日の中で、私にある懸念が浮かび上がりました。

それは日本が最先端すぎる点でした。出生前診断、胎児治療、NICU、各種血液検査、幾多の画像診断(単純写真・エコー・透視・CT・MRI・核医学・血管造影)、鏡視下手術、ナビゲーション手術、遠隔手術と医療の進歩は枚挙にいとまがなく、また基礎の現場でも再生医療を中心とし発展が目覚ましくあります。

既に私が医師となった時点で世界最高水準の医療の中に入ることができ、しかもこの10年弱の間も大きな変化が起こっております。これら先人の築かれた医療のおかげで日本は戦後復興を成し遂げ今や日本は、世界一新生児や母体が死なない国に成長しました。

私は先人のような苦労もなく、モノがない中、少しでも目の前の患者さんがよくなるようにと悪戦苦闘する経験もなく、いきなりこのような世界に入った、入れたことに感謝と焦りを感じたのです。昔はどうだったのだろうか。最先端医療を習得する前に外科医の原点、医師の原点を経験し、体験・会得しないとダメな医者になると思いました。

学生の頃から抱いていた国際支援へのおぼろげなイメージがあり、その上に、このような想いが生まれ、国際支援への第一歩となりました。

時期を同じくして幸運なことに特定非営利特活動法人・ジャパンハート代表の小児外科医・吉岡秀人先生の講演が私が勤務していた病院で行われたのです。この講演をきき、奮闘する姿を見た時に蒙を啓かれた思いになりました。ジャパンハートには2013年度は延べ400人の短期ボランティア参加者がおり、現在も医療の届かない場所に最善の医療をと尽力されてます。

さて、日本では小児外科医は鼠径部疾患などの対応に終始することも散見され、モチベーションの維持が困難といわれることもある診療科ですが、そもそも鼠径部疾患で命を落とす現状がそこにあり、小児を内科的にも外科的にも治療ができる小児外科医がアジア、特に貧困地域に、決定的に不足し、新生児が満足な医療を受けることなく一度も満足に食事できないまま死んでいっている現状を自覚しました。何も私達小児外科医の活躍の場は日本だけではないのです。当たり前なことなのですが、そこに気が付きました。

これまでは職場で夏休みをもらえばその分、外科医として経験するチャンスが少なくなるのでなかなか休みをもらうということに抵抗がありつつ過ごしてきましたが、「今」自分が経験したい医療の形がそこにあるから、アジアに行きたい!!この思いから、大学医局に迷惑のかからないように、と、夏休みを初めて利用して毎年1週間ずつですが、ジャパンハートの企画である手術医療支援ボランティアという形でミャンマーやカンボジアに行きました。7年目の夏と8年目の冬のことでした。自分の目的に不純な点もあるかと思いましたが、自分の理想と現地の患者さんたちの利益が一致するのであれば問題ないと思ったのです。

案の定、日本のように最先端の医療はなく、患者と向き合う。患者さんは多いけれど、一人一人丁寧に話す。最高の医療をすることが目標ではあるけれど、最善の医療をすることが医療の本質である。病める人が何を求めているのか、私は何ができるのか、そこをすり合わせることとなりました。

実際の活動内容としては、まず手術を行う病院に赴き、そこでジャパンハートが事前に行っていた巡回診療にて手術適応と判断された患者さんたちの最終的な診断を行いました。勿論そのほとんどが同じ方針ですので特に

問題はないのですが、小児外科医として手術の必要性を委ねてもらう症例もあり、母親に説明しながらの方針決定という場面もありました。

写真1)2年次研修医(右)の執刀する鼠径ヘルニアの手術の助手を行う筆者(左)

実際に行った手術は鼠径ヘルニア・陰嚢水腫・停留精巣・真性包茎・体表腫瘤(頭頂部・背部・胸部・乳腺・下肢など)・甲状腺腫瘍などでで、私にも可能な手術を割り当ててくれました。一日にミャンマーでは10-20例、カンボジアでは10例弱の手術を行いました。日本で外科医師7年目や8年目といえば執刀させて頂く機会は多く頂けましたが、研修医の先生執刀の指導的助手の経験や、自分より若い先生との手術というものはなく、今回初めての経験となりました。勿論、基礎はたたきこまれているという自覚を自らに言い聞かせ、種々の小児外科日常疾患の手術を行いました。皮膚切開の位置にしてもそうですし、全術式を自らで決定するということがどんなに大変かや、若い先生の行う手術の全責任を負い、助手を行うことの緊張感を体感しました。

アジアでは、外科の専門性はまだなく、一人の外科医で、帝王切開やその他の臓器にも対応できる能力が必要とされることもわかりましたが、今できることをすれば、一生懸命にやればいいんだなあと思いました。実際に手が動いた時に、日々指導してもらってきたモノが出てきたことを実感し、仮に、英語がしゃべれなくても手術の基本的な術式は世界共通である点から、交流が図れることでした。対象疾患がまだまだ鼠径部疾患中心ではありますが、この感覚を実感できたことは大きな財産になりました。

また、国際支援は一人でやるものではありません。仲間がいます。現地のドクターもいます。意見を言い合えばよいのです。不思議なもので海外に行くとなんでも勇気を出して言えるんですね。

写真2)術後の患児とその家族との写真。左が筆者。

ミャンマーやカンボジアに短い期間ですが赴き、手術を行い、感じたことは、恵まれた環境・日本に生まれたことが私のラッキーであることでした。ミャンマーは内紛、長引いた経済不安定の影響で、カンボジアはクメール・ルージュによる影響で、それぞれ復興がかなり遅れてしまった国です。つまり戦後の日本と同じです。カンボジアでは、優秀な人材はすべて虐殺され、内紛が終了した当時、生き残った医師はたった30-40人と言われております。その状況からの復興です。現地の学生さんは奨学金を得て必死に医学の勉強をしておりました。

私の所属する九州大学小児外科の教授でおられます田口智章先生は、国際支援にこれまでもご尽力をされてきており、そのため、私は田口教授にお願いして第7回カンボジア小児外科学会に参加してきました。学会会場で、学生さんから「食道閉鎖のlong gap症例の根治術の時期はいつごろが最適なのか」という質問をうけ、本当にあなたは学生さんですか?と逆に質問したくなる次第でした。ミャンマー・カンボジアの歴史の闇や医療事情、必至に自国を盛り上げるスピリッツを感じ、国際協力の素晴らしさを感じました。最初は自分のためにという色も強かった国際協力ですが、徐々に、この方々と一緒に試行錯誤を行う毎日に魅力を感じ始めました。

写真3)今回活動した病院の近隣の村にて子供たちと。

ミャンマーやカンボジアにも幼い命があり、尊い命が医療が届かないために失われてゆく現状を実感し、その中で等しく美しい笑顔にも出会いました。何の功績もなく、特に何が凄いわけでもない、何ができるわけでもない自分が国外に出て何ができるのかという懸念がありますが、こんな自分でも何か力になれればよいと思えるようになりました。私の国際協力への動機に関して述べましたが、現地での人々との触れ合いや、出会いを通じて、国際協力を行うにあたっての動機というものは、他にもいろいろあっていいのだと思えるようになりました。

現地の人のため・自分のため・今の現状が嫌だから打破したくて・手術がしたいから・趣味だから・日本以外で仕事をしてみたいから・視野を広げたいから・外科医の原点を感じるから・そもそもなんとなく楽しそうだから、いろいろなモチベーションがあって、ある場において、一つの事業を純粋にやってゆく。それが人々の幸せにつながってゆく。それでいいんだろうと思いました。

私はこれまでの巡り合いに深謝し今後も国際協力を続けてゆく決意をしております。それがこれまでこの場を大切に温めてきてくださった先輩の方々から同世代・後輩への恩送りだと思っております。この文章を読んでおひとりでも熱い想いを膨らませ、ご一緒に医療ができればと思いつつ、この文章を結ぶことと致します。

これからの日本を盛り上げてゆく分野の一つに医療が欠かせないことは明白であり、世界を結ぶ純粋な手段だと私は信じています。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

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